2025年5月30日
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以降、経営上の困難が度々あったものの順調に営業を拡大し、現在では親会社に大きく貢献、一翼となっている事例を紹介する。現在と異なる状況もあるが、今後進出する企業や進出期で苦労されている企業の参考事例として同社の同意の下、紹介したい。
創業前夜
– Okamoto Corporationは1971年、現在のさいたま市の一部である与野市で、小さなねじ工場として創業した。2代目社長のTomonori Okamoto氏の指揮の下、約30人の同社は、旋盤を用いた超精密な金属・樹脂部品を専門としている。.
– 2010年までに国内事業は安定していたものの、社内の課題が表面化した。創業者は2002年に会長に退き、現在の社長に会社を引き継いでいた。しかし、社内には問題があった。前世代から引き継がれた年長従業員と若手世代の間に摩擦が生じていた。若手世代より数十歳年上の年長従業員は、若手に多くを教えることに消極的である一方、若手従業員も年長者から学ぶことに関心を示さなかった。社内のコミュニケーションと技能の伝承が不十分で、新たな取り組みを進めることが難しかった。社長は新しい風を入れる必要性を感じ、技術実習制度を活用することにした。 .
– 2012年、ベトナムから初めて2人の実習生を採用し、翌年以降その数は徐々に増加した。効果は大きかった。率直かつ積極的に質問し、学ぶ意欲を示す実習生は工場に活気をもたらし、教える意欲も広げた。.
– 制度上、実習生は3年後に母国へ帰国しなければならなかった。つまり、実習後に実習生が進む先がなかった。そのため、同社はベトナム法人を設立することにした。 .
創業直後
従来ベトナムの工業団地は約50年間の土地リースが原則であり、企業自ら工場建屋を建設するモデルが主だった。1万平米以上など区画は大きなものしかなく、立地にもよるが、土地取得と工場建設の費用は億単位となる。中小企業の進出が進む中でよりリスクの低い選択肢として、建築済工場建屋内部の区画を借りるという、レンタル工場のサービスが広がりつつあった。
同社もビンフック省カイクアン工業団地内に出来たレンタル工場において、2013年に社員5名、機械5台でベトナム工場を開始した。目的はこの工場で売上や利益を上げることではなかった。帰国実習生をベトナム法人の従業員とすれば、日本に配置転換することができる。そうすれば技能実習生の3年という制約を超えて、育てたベトナム人従業員を活用していくことが可能になる。
そのような限られた規模・目的であったため、営業上のプレッシャーは課されず、まずは安定操業の確立が目標であった。帰国実習生を中心に採用されたスタッフは日々の業務構築に励み、ゆっくりではあるが生産ラインは動き始めた。しかし年間売上は600万円ほどで、投資回収にはほど遠い状況であった。
飛躍のきっかけは設立2年後、外部から採用された岡本牧人さん(現社長)の登場だった。ちなみに、日本の岡本社長は現地法人の会長である。二人に親戚関係はなく同じ名字であるのは偶然なのだが、紛らわしいので岡本会長、牧人社長などと呼ぶこととする。
Makito社長が入社した当時、35歳で、ベトナムの日系製造工場で数年間勤務した経験があった。妻がベトナム人で、ベトナム語を話すこともできたため、理想的な人材だった。多くの候補者の中から選ばれ、ゼロから会社を立ち上げることに意欲を燃やしていた。しかし、入社してみると、売上高が月約80万円にすぎないことに衝撃を受けた。会長からは気楽にやるよう言われたが、本人は正直なところ、「こんなに給料をもらえるはずがない」と思った。“
この状況を打開するため、まず現場の改革に取り組んだ。ベトナムチームにはリーダーがおり勤勉だったが、経験が浅く、多くの課題が残っていた。さらに、経理などの会社の管理体制も不十分で、在庫管理のように現場と経営の両方にまたがる問題もあった。これらの課題を一つずつ解決していった。.
